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  • わが思い出の神戸…北野坂 

    私個人のメモリアルページ神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る。更に先へと坂を上ると北野町に出る。洋風建築のテラスがまぶしく輝く。風見鶏のある館が目に届く。かって私はここへ何回も鬱を棄てに来た。はるかぜにとびのる構え風見鶏庸晃人間関係に疲れ果て現実の社会にもついて行けず、身も心もボロボロになったとき一人きりの時間を求めて佇んでいた。20代後半の青春期をこの坂道を歩くことによって心を癒していたのだった。この思い出の坂道を今ゆっくりと上り、眼前の海原を見ている。今しがたまで覆われていた霧はいつか姿を消していた。青い海が、そして坂の上に暖かくある春林が私をかっての青春へと誘う。死んでもいいなど云い合う霧笛のおおんおん芙民子坂口芙民子。この人の俳句が...わが思い出の神戸…北野坂

  • 俳句における発想とは何なのか

            書き手と読み手のコミニュケーションギャップとは児島庸晃  よく聞く言葉に、発想が新しい、とか、発想が良い、とか、俳人は批評をするが、この考えは正しくはないのである。私は偏った思考であまりにも一元的であるようにも思う。書き手と読み手のコミニュケーションギャップと言う事を考えていて、ふと思ったのが俳句の思考方法には、必ずと言っていいほど発想における作者と読者の基本にポイントのずれが起こっているのではないかとの疑問を感じる或る日の私がいた。発想にはもともと個人差があって似たものや同じものはないのである。だからどの句も新しい発想の句なのである。それは“似ている物が少ない”ということだ。俳句に限らず、絵画でも音楽でも映画でも、似ている物が少ない。あるいはまったく新しいものに出会った時に人は、“発想が...俳句における発想とは何なのか

  • 俳句の感情表現とは…現代の俳句表現を考える

                心を無にするこころの大切さ児島庸晃  日常語は物事を遂行する言語で、ニュアンスは含まない。従って詩語にはなりぬくいのである。日常の生活は会話を正確に伝えなければ物事が前へと進まない。だが、このことが、詩情を深めるのには邪魔になる。心の在りよう、つまり人の感情を阻害してしまう。多くの人々は物事を伝達するのに誰にでも理解出来る言葉を選ぶ。これは感情や雰囲気の含まない言葉。だから社会の中で行き違いや衝突が起こる。例えばだが物事を処理するのに人間性を排除するかの如きマイナンバーカードを国民に義務付けようとする、このような数字で物事を処理、感情を無視する行為。だから人々は何かの救いを求めて心を広げようとする。この時に心を広げることの出来る感情が欲しくなる。それは文章やエッセイを一つにした一冊...俳句の感情表現とは…現代の俳句表現を考える