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  • T・S・エリオット「宗教と文学」第十九段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturepp.105-106T・S・エリオット「宗教と文学」105~106頁何を好むかを知ることは文学の読み手としての我々の務めである。何を好むべきかを知ることは、文学の読み手であるのと同様にキリスト教徒としての我々の務めである。何であれ我々の好むものこそが我々の好むべきものだと仮定しないことが誠実な人間としての我々の務めである。そして我々の現に好んでいるものが我々の好むべきものだと仮定しないことが誠実なキリスト教徒としての我々の務めである。最後のものは私が望むに二つの文学として存在するだろう。一つはキリスト教徒の消費のためであり、もう一つは異教徒の世界のためである。すべてのキリスト教徒に責務として課されていると私が信じるのは、世界の残りの部分によって適用さ...T・S・エリオット「宗教と文学」第十九段落

    コザカナ

    私的海潮音 英米詩訳選

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  • T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十八段落

    T.S.ElliotReligionandLiteraturep.105T・S・エリオット「宗教と文学」105頁私は文学に対するリベラルな態度は働かないだろうと示唆してきた。もし仮に「人生観」を我々に押し付けがちな書き手たちが本当に別個の諸個人であって、もし仮に読み手としての我々が別個の諸個人であったとしても、その結果は何になるのか?まずもって確かに各々の読み手は、その読書によって、己が前もって感銘を受けようと支度してきたものによってのみ感銘を受けるばかりだろう。彼は「最小抵抗線」に従うはずだ。それが彼をより良い者にするという保証はないだろう。文学的な判断のために、我々は直ちに二つのことに鋭く気付く必要がある。「我々は何を好むか」と「何を好むべきか」に。どちらか一方でも知っているほど誠実な人々は殆どいない。一つ...T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳:第十八段落

    コザカナ

    私的海潮音 英米詩訳選

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  • ある人、ない人

    人間には、様々な能力や壁が存在するが、持っていたり、有るひとには、持ち合わせていないひとのことが理解できないある人が有する能力を、持っていないひとは、どうすれ…

    森永裕爾

    詩と法律と

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