昔作った詩と、最近の詩
私は二度 死にました一度目は ふいにらせん階段のような負のループに突き落とされて死にました私は二度 死にました二度目は 突如半身を もぎ取られて死にましたあと何度死んだら私は 楽になれるのですか?どなたか教えてくださいな...
花冷え 春冷え霞の空はめまいのように私を包む先のことなど考えても仕方ない仕方ないだけど霞の街を 歩くだけの力を持たぬ 私には春を 信じられなくて春がどこにも 見えなくてまだ冬の中にいる寒い寒い氷の中に 閉じこもって満開の桜の下で桜はまだかと震えてる...
寝起きで あなたのつむじの髪の毛が ピンッと そらを向いているのが とにかく おかしい そのまま 神妙な顔をして テレビのニュースに 真顔でコメントしてるのが とにかく おかしい むかしなら 鏡に映したり 見せるのに苦心したけど いまは スマホで撮って ひとしきり ふたりでわらう そんな他愛ないこと いっしょにわらえるのが とにかく たのしい
生きる苦しさの余り目を閉じるするとそこから何かが 産まれ出ようとする私にもわからない何かがもう革命もないインドに行っても 何もない全ては幻想に過ぎなかったとわかった壊れた蛇口からぽつん、ぽつんと落ちる水音みたいにひたすら つづくだけの日常の中で生きる苦しさの余り目を閉じるこのどうでもいいはずのいのち ひとつぶら下げて私にしか見られぬ夢を夢を夢を もし 見ることができたなら...
悲しみのその先には一体 何があるのだろう私の頬に 零れた涙を夏の夜風が そっと拭って行く悲しんで憎しんで傷つけ合って 血を流して絶望の淵で 膝を丸めてうずくまっていても新たな誰かと手を繋ぐことを忘れずにいれば悲しみが深い分 繋ぐその手は 温かい悲しみも憎しみも 他の誰かを思うことでやがては 炎が燃え尽きるように静かに消えて新たに 愛情や喜びと言う名の 感情として優しく火が灯るのだろういつか悲しみの...
あなたの瞳をみていると あなたの胸の内がみえる 愉しんでいるのか 憂いているのか 夢中なのか 諦めているのか 言葉だけで量れない もっともっと中心の あなたのほんとが映っている 光のとどかない深いところ 感覚だけが際立って 瞳の色は褪せていく そんなところにずっと居て 生きていくための 爪ばかりを研がないで 時には大きく息を吸って ひろがる空に逢いにきて 澄んだ水にも棲めないけれど 濁っ…
つらい思い出は心じゃなくて骨が 覚えてるだから何年 何十年経っても忘れられないつらい思い出はできることなら忘れたいなのに楽しい思い出よりつらい思い出のほうがいついつまでも覚えてるつらい思い出は心じゃなくて骨が 忘れるまで待つしかない...
お向かいのおばあちゃんが 雨戸を引いて カーテンになるのが 毎朝 だいたい十時半 去年の春に おじいちゃんが逝かれて ひとり暮らすおばあちゃんに 母が重なり いつもなにかと気になってしまう 雨戸は開かなくなって しばらく 門の前の葉ボタンは タワーみたいに徒長して 椿は大輪でいくつも 梅はぽちぽち可愛くて ぼけの一木に 紅白はあっ晴れ 雪柳もちらほら視えるよ 窓越しに眺めては 雨戸をみつめ…
倫理とか道徳とかマナーとかルールとかそういうの 邪魔なんだよ私はそんなものなくたって嫌気がさすほどマナーを守ってルールを守って「良識ある大人」という芝居を打って 生きてるんだよ息苦しい窒息する と私の中のケモノが叫ぶいつも必死でケモノをなだめすかしてるんだよこの ケモノ性はもの心ついた頃から私と一緒に生きて来たルールもマナーも知らないけれど丸裸のケモノ性こそ生き生きとした わたし なんだよこんな腐...
私の 明日はどこにある?みんな 明日を待つけれど私の明日は 見当たらぬ今日今日今日と虚しい今日が つづくばかりで私の明日は 見当たらぬ「私の明日はどこですか?」と尋ねてみても皆 知らないと言うだから私は明日を 探す終わらない今日の連続の中で私は 明日を探してる私の明日はどこにある?...
この文章をネット上にあげていく事を決めた時に、お世話になったカウンセラーの先生に久しぶりに連絡した。 私のこの経験を綴る上で先生の話は絶対に必要な事だったので、その旨をきちんと伝えておきたいと思ったからだ。 それと共に、久しぶりに厄介な暗闇くんと相対していたので先生と、そう、同じ経験をしている人と話をしたいとも感じていたからだ。 カウンセリングを受けていたのはもう3年ほど前になるので先生の状況ももちろん色々変わっていた。 以前とは少し離れた所に引越しされ、手術を経験し、そして何より驚いたのは少し前に養子を迎えられ「お母さん」になっていた。 それを知った時にはそれはもう、嬉しくて嬉しくて心が躍る…
いのちが いのちを食べて 生きるそうしなければいのちは 生きていかれないいのちが いのちを食べて 食べて割り切れない思い葛藤矛盾悲しい 連鎖いのちが いのちを食べて 生きる...
コロナの感染拡大で混沌とした状態が続きその話題や心までも曇りがちな空気が蔓延している現在であるが、今日で東日本大震災から9年。 忘れてはいけない日からもう、いや、まだ9年。 被災していない自分にとってはショッキングな天災として『忘れてはならない』というものになっているが、実際に被災された方々、大切な人を亡くして時間が止まっている方、いまだ収束などするはずがない福島第一原発の影響。 それに対し『9年か・・・』なんて想いを馳せるなんて偉そうな事だが、自分なりにそんな人たちが大勢いて今も必死に生きている事を考えると胸がずっしりと重たくなる。 正直一人一人の意識の問題が多く問われる今のコロナウイルス問…
昨年の春、長い間癌を患っていた母方の叔母が逝ってしまった。 何年も闘病をしていて病状は行ったり来たりを繰り返しながらも余命宣告よりも長く生き抜いた。 闘病中の7年前に私の結婚式があり、あまり旅行などに行ったことがなかったという叔母はその式を機に都会へ出てきて皆で集まり、クリスマスのイルミネーションを見たりして本当に楽しかった、ありがとうと言ってくれた。 いつも優しく後ろで微笑んでるようなタイプの叔母は私が会いに行くたびに、嬉しそうにご飯を用意しては温かい気持ちを分け与えてくれる、そんな人だった。 その叔母の容体が急変し、もう難しいかもしれないという知らせを受けて亡くなる半月ほど前に会いに行った…
私がいなくなる日これ以上の 祝いはないよ今 私がいなくなっても世界は何事もなく穏やかにまわっていく今 私がいなくなっても特に困る人はいない祝いだよパーッと盛り上がって酒でも酌み交わしておくれ私がいなくなる日これ以上の 祝いはないよ今 私がいなくなってもこの町の人口が一名減ったただその数字が出るだけ私がいなくなる日これ以上の 祝いはないよ私の遺影を誰が持つのか私は知らないいや そんな必要もないかも知...
死んだ子の年を数えるあの子は たった10才でおほしさまになった死んだ子の年を数えるあの子が今生きてたら17才まだまだ生きていられたのに死んだ子の年を数えるあの子を思うと今でも悲しみと愛しさと罪の深さにこの身がよじれる心が裂ける死んだ子の年を数えるごめんねごめんねごめんね会いたくて会いたくて会いたくて死んだ子の年を数える今でもあの子の小さな体をあの子の匂いをあの子の瞳をこの手が覚えているというのにお墓の...
母は骨になってもまだ 自己主張しているようだせめて私は骨になったら自己主張をやめたいな骨になったら素直でいたい骨になったらおとなしく埋められるのかばらまかれるのかわからないけどどうされてもされるがままなすがまま無口なまま現世を捨てた白いだけの骨になりたい...
珈琲を飲みたかったらお湯を沸かさなくてはならないし出かけたかったら着替えなければならないなぜこんなにたくさんのことをやらなければならないの?何もしたくない何もしたくない何もしたくないようやく 夕暮れ陽が沈む陽が沈めば私も沈む無気力の風が 吹く春の気配を封じ込めて無気力の風が 吹く...
一人目、二人目の子がお空に逝ってしまった時に住んでいた家の近くには有名なお寺があり、水子供養の立派なお地蔵様がいた。 それはそれは綺麗で優しい顔のお地蔵さんだ。 カタチとしてこの世に残らなかった我が子にはもちろんお墓がない。 それがなんとなくモヤモヤした気持ちを抱える一つの要因になっていた。 当時、まだあまり引きずらずに早く忘れた方がいいという考えであった両親は、 「水子供養なんて気持ちを縛りつけるような事はしない方が良いのでは?言葉は悪いけどまだカタチにならずに流れてしまったんだから」 と言っていた。 きっと、私の心があまりにも執着する事を止めたくて出た言葉だったのだろうと思う。なので水子供…
昔作った詩と、最近の詩
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現代短歌とエッセイ
子どもも大人も楽しめる童謡や詩を。時には切ないさびしい気持ちの詩や童謡を、素直な気持ちで前向きに。
季節の写真と吹く風にしみる心の俳句を掲載します
遥か遠い あの空まで 羽ばたきたい。
遥か遠い あの空まで 羽ばたきたい。
詩を書いていきます(´,,•ω•,,)
俳句を載せてまいります
心からあふれた言葉を激しく詩にしています。あなたに会えて幸せです。